大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和49年(ワ)7810号 判決

原告

中澤とき子

原告

中澤貞男

右両名訴訟代理人

秋田瑞枝

中島通子

被告

右代表者法務大臣

倉石忠雄

右訴訟代理人

真鍋薫

右指定代理人

永田英男

外三名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一当事者〈省略〉

二本件子宮破裂事故の発生

原告とき子が、大蔵病院に入院中の昭和四九年一月六日午前〇時三〇分頃から午前一時五五分頃の間に子宮破裂をおこし、そのため胎児が死亡したことは当事者間に争いがない。

三本件子宮破裂事故発生に至る経緯

〈証拠〉を総合すれば、本件事故発生までの経過として以下の事実を認めることができる。

1  原告とき子は、原告中澤貞男と結婚後間もない昭和四四年妊娠したが、翌四五年三、四月頃妊娠三か月で流産に終つた。

原告とき子は、その後再び妊娠し大蔵病院で診察を受けたところ、昭和四六年五月二〇日頃出産予定とされた。出産は原告とき子の実家のある宮城県大河原町の町立大河原病院で行うこととしたが、妊娠末期に胎児が骨盤位(逆児)であることが判明していたため、担当の相馬医師の勧めにより、陣痛発来前に経腹膜子宮下部横切法による帝王切開手術を受け、昭和四六年五月一五日体重二八五〇グラムの第一子(男児)を出産した。なお、予後は感染症の罹患もなく順調であつたが、右病院を退院する際、同原告は、右相馬医師から、子宮破裂の惧れがあるからできれば一年以内には妊娠しないほうが良い旨の注意を受けた。

2  それから約二年経過し、原告らは第二子の出産を希望していたが、右相馬医師からの注意もあつたので、万全を期するため妊娠前に近くの赤堀産婦人科医院において診察を受けたところ、妊娠しても大丈夫であると告げられ、その後間もなくして原告とき子は妊娠した。妊娠に気づいた原告とき子は、前回帝王切開を受けていることを考慮し、子宮破裂など万一の事態にも適切に対応できる態勢と設備を有すると思われる大蔵病院で診察を受けて出産しようと考え、昭和四八年六月二八日、大蔵病院を訪ずれ、初診担当医である河井禧宏医師に前回骨盤位のため帝王切開を受けた旨を告げて診察を受けたところ、同医師から、妊娠三か月で、格別異常はなく、出産予定日は昭和四九年一月八日であると告げられた。

3  その後、原告とき子の担当医は同病院産科医長である堤医師と定められ、原告とき子は同年七月二六日以降同医師の診察を受けた。妊娠初期の経過は順調であつたが、同年一〇月二九日(妊娠七か月半)の診察の際、胎位が横位となつていることが判明したため、堤医師は原告とき子に対して左側臥位をとるよう指示した。そして、同医師は、横位が直れば前回帝王切開により出産しているが、その際術後感染等の異常がなかつた旨原告とき子の問診により確認しており、妊娠経過も順調であることから、今回は再帝切の適応性が認められない限り経腟分娩を試みるとの方針を告げた。胎児の横位は、一一月一二日の時点では頭位に戻り、その他一二月二四日の診察時点で外陰部の静脈瘤が顕著であつたほか妊娠経過はその後も概ね順調に進行した。

4  予定日より三日早い翌昭和四九年一月四日午後八時頃、原告とき子は血性分泌をみ、同一一時頃には一〇分間隔の陣痛が発生したため、翌五日午前〇時過ぎ頃大蔵病院に入院し、分娩室に入れられた。入院時の産科的所見は、子宮底31.5センチメートル、腹囲92.5センチメートル、子宮は卵形、緊張は中等度で圧痛はなく、胎児の頭部は下方に固定し、背部は左方に位置し、羊水中等量で胎児心音は左臍棘線上に正常に聞かれ、陣痛は一〇分間欠で発作は一五ないし二〇秒であり、血性分泌物もあつた。同一時三〇分頃、原告とき子は浣腸を受け反応便は(+)であつた。同日午前五時三〇分頃、原告とき子は、石塚助産婦に陣痛の間欠が遠のいた旨訴えた。胎児心音は正常で、血性分泌物もみられなかつたため、右助産婦は分娩にはまだ時間がかかると判断して原告とき子を同日午前七時褥室に移した。その後午前八時一〇分ころまでには陣痛は全く消失し、原告とき子は診察に来た助産婦に対し一旦退院したい旨を申出た。

5  同日午前九時頃、堤医師の回診が行なわれたが、この回診自体は順次各産婦らの様子を概括的に観察する程度のものであつた。堤医師は、助産婦から原告とき子の帰宅希望を聞いていたが、それについては内診をしてから判断することとした。

同日午前一〇時一五分頃、原告とき子は内診室で堤医師の内診を受けた。その結果は子宮口開大一ないし二センチメートル、展退三〇ないし五〇パーセント、児頭位置SPは-2、子宮口はまだ固く中央に位置し、ビショップの評点は四点であつた。

また卵膜の緊張も破水もなく、下腹部の自発痛や圧痛も認められなかつた。堤医師はこれを妊娠末期、分娩初期にあたり分娩が更に進行する可能性があると判断し、更に前回帝王切開をしていることから、突発的事態に備えるため退院を許可することなく入院継続を指示し、その旨を担当の佐藤助産婦に口頭で告げて経過をみることとし、子宮顕管を軟かくして分娩の進行を円滑にするためにホーリン一アンプル、ブスコパン一アンプルをそれぞれ筋肉注射し経過を観察することとした。

6  その後、時々腹緊がある程度で陣痛の発来のないまま経過したが、同日午後八時三〇分分頃再び陣痛が発来し間欠が七、八分位、発作が三〇秒位となつてきたため、原告とき子は褥室から陣痛室に移され、嶋野助産婦がこれを内診した。その時の内診所見は子宮口開大三センチメートル、児頭位置SP-1、展退八〇パーセント程度で胎児心音も正常であり、ビショップの評点は六点で、午前中の内診所見に比べ分娩進行の徴候を示していた。嶋野助産婦は、右は分娩第一期の初期と判断し、原告とき子に浣腸を施した。浣腸後原告とき子は用便に立つたが、そのとき腹部にしぶる感じの痛みを覚え、嘔吐し出血もあつたため嶋野助産婦に対し子宮破裂の惧れにつき尋ねたところ、同助産婦は前回の帝王切開から二年七か月も離れているから大丈夫であると答えた。

同日午後九時三〇分頃、原告とき子は吐気を催したためベッドに備付けてある呼出しブザーで助産婦を呼びだし、嶋野助産婦が持つてきた膿盆(容量三〇〇cc)に八分目位食物残滓を嘔吐した。嶋野助産婦は同時刻頃の外診で特に原告とき子に異常を認めなかつた。

同日午後一一時頃、嶋野助産婦が原告とき子を外診した際、同原告は吐気と触診の際に強く痛みを訴えていたが、胎児心音が正常であつたため、同助産婦は右吐気、痛みは正常分娩にもよくみられるものとして、同原告に特に異常があるとは認めなかつた。

7  翌一月六日午前〇時頃、原告とき子は便意を催し、腹部を抱えるようにして分娩室隣りの洗面所まで歩き排便した。その際、出血と嘔吐もあつた。

その後、同日午前〇時すぎ、嶋野助産婦は深夜勤と交替前の観察のため原告とき子を外診した。その際、原告とき子は腰痛を訴え、又少量の血性分泌物があつたほか、不規則腹緊が認められたが、嶋野助産婦が触診しようとすると強い疼痛を訴えてこれを拒絶し、胎児の動きの激しいことを訴えた。嶋野助産婦は、原告とき子の右訴えを陣痛それ自体とはみなかつたものの、陣痛に由来する疼痛、圧痛であると考え、同日午前〇時三〇分頃、看護記録に「外診時疼痛を訴える、疼痛に過敏」と記入した。しかしながら、嶋野助産婦は、胎児心音が聴取の結果正常であつたことから、原告とき子が特に異常な事態にあるとは認めなかつた。

原告とき子は、嶋野助産婦の回診後まもなく急速にそれまでの痛みの強い状態から痛みの殆んどない虚脱状態に陥り、そのまま睡眠に入つた。そのため、次の回診時まで、原告とき子はベッドについている看護婦呼出しブザーで助産婦を呼びだして異常を訴えることはなかつた。

8  当日の深夜勤の勤務についた佐藤助産婦は、交替の際、原告とき子につき正常な分娩が進行中である旨の申送りを受けていたが、午前一時五五分頃の回診時、原告とき子を外診したところ、聴診器によるも胎児心音を聴取できず、また、ドップラーによつても胎児心音を聴取できないことに加えて、原告とき子が触診に際し激しく疼痛を訴え、出血様の分泌物も中等量認められたため、同助産婦は胎児切迫仮死を疑い、胎児心音の回復を図るために一分間に一〇リットルの速度で酸素吸入を施すとともに、直ちに当直室の堤医師に電話で状況を報告した。

堤医師は、産科病棟内の医師当直室に当夜の当直医師として泊り込んでいたが、午前二時頃、佐藤助産婦から右報告を受け、直ちに原告とき子を診察したところ、右下腹部のやや上方に強い圧痛を認め、腹部触診により胎動を思せる抵抗感を触知したが胎児心音は聴取できなかつた。堤医師は、原告とき子に表面的には格別ショック症状を疑わせる所見は認めなかつたが、前回帝王切開の既往があることから、子宮破裂切迫による胎児死亡ないしは胎児切迫仮死と考えて緊急開腹の方針を立て、その準備を指示するとともに、胎児心音の回復を図る目的で二〇パーセントブドウ糖二〇ミリリットルとビタカンファー一アンプルを静脈注射したが、右注射後も胎児心音が回復しないため、午前二時二〇分開腹手術を正式に決定した。

9  右開腹手術は、術者堤医師、介助者宇都宮利善医師の担当で行なわれ、同日午前二時四六分麻酔開始後、午前二時五六分執刀を開始した。開腹時の所見は、前回の帝王切開瘢痕部と思れる子宮下部前壁に横裂した開創を認め、胎児は既に死亡し、その大部分は羊膜に包まれたまま子宮外腹腔内にあつた。そこで、堤医師は直ちに胎児を取出し、開創はこれを三層に縫合し、子宮は残して腹腔を閉じ、午前三時五五分手術を終了した。胎児(女児)の体重は二六八〇グラム、術中出血量は三八〇ccであつた。

四被告の責任

1  原告らは、被告の履行補助者である堤医師に、既往帝切者である原告とき子に対し、漫然と経腟分娩を試み、監視義務を怠つて適時の帝王切開手術をなさなかつた義務違反がある旨主張するので、この点につき検討する。

鑑定人野嶽幸雄の鑑定結果によれば、帝王切開の既往のある妊婦の経腟分娩の可否について、従来は、次回妊娠末期または分娩時における帝切療瘢部の癒合不全による子宮破裂の危険性が高いところから、再び帝切を行う方針(選択的帝切)をとるべきであるとする考え方が一般的であつたが、反腹帝王切開の弊害が指摘される一方で、帝切術式の改良や術後管理の進歩により切開傷の治癒が完全になされるようになつた結果、帝切瘢痕部の癒合不全による子宮破裂は危惧されているほどしばしば起こるものではないことが判明し、無事経腟分娩に成功した例が広く知られるようになつたため、最近では必ずしも再帝切によらず、以前と同一の帝切適応症が存在するか、別個の新たな帝切適応症が存在するなどの特段の事由がない限り、原則として経腟分娩を試み、分娩経過の途中で子宮破裂の切迫症状が認められた場合には帝王切開に切替える方針(試験分娩)をとるべきであるとする考え方が広く世界的に受け入れられ、我国産科医の多数も次回分娩を取扱う基本方針として経腟分娩を試みるようになつてきたこと、右の如き試験分娩は、反復帝切適応症の不存在等の産科学的適応の存在、分娩経過の周到な監視による子宮破裂切迫症状の把握、右症状が確認された場合に速やかに帝王切開手術に移り得るだけの準備と施設を前提とするものであり担当医師が右周到な監視の主体として重要な役割を果すべきものであることは言うまでもないが、その具体的な内容及び程度は妊産婦の状態、妊婦分娩の経過状況、時期、病院の一般的看護体制等によつて異なり、必ずしも画一的には規定し得ないものであることが認められる。

そこで、本件について前記認定の事実関係のもとにおいてこれをみるに、原告とき子は、第一子出産の際に骨盤位であつたために経腹膜子宮頸部横切開法により帝王切開手術を受けているが、前掲鑑定結果によれば、骨盤位は帝王切開の一時適応にすぎず、また、右帝切術は古典的子宮底切開法に比べ子宮破裂の発生頻度が低いとされるものであることが認められること、右帝切術の予後は感染症等を併発することなく順調に経過してきていることが原告とき子問診の結果確認されており、今回の妊娠までにおよそ前回帝切から二か年を経過していること、また、今回の妊娠の経過をみても、妊娠三〇週頃一時発現した胎児の横位も左側臥位をとることにより順位に自然整復され、その後は外陰部に静脈瘤があることのほかには格別の異常もなく経過し、他に再帝切適応症の存在は認められなかつたこと、陣痛は自然発来し、その後の子宮頸管の開大、児頭下降も順調で、廻旋異常もなかつたことを指摘することができ、前掲鑑定の結果に徴し、右事情の下にあつて、原告とき子につき経腟分娩が可能であると判断したことについて、堤医師には、産科学的一般水準からみて誤りがあるということはできない。

次に、大蔵病院の看護体制についてみるに、〈証拠〉によれば、当時の大蔵病院産科婦人科のベッド数は五〇床(因に、事故当日の入院者数は二六名、新生児重症者一名)で、四人の常勤医師(うち産科担当は医長の堤医師ほか二名である。)のほか助産婦一五人、看護婦五人が配置され、医師は日勤のほか四人が交替で当直にあたり、当直医師は産科病棟内の医師当直後に泊りこみ、助産婦から異常事態が発生した旨の報告を受ければ直ちにこれに対処できる態勢にあること、助産婦、看護婦のうち、助産婦は正常分娩を自ら介助し、産婦の症状に応じて医師への連絡の要否を判断し得るだけの専門的教育訓練を受けており、その勤務態勢は日勤(午前八時三〇分から午後五時まで)七名、準夜勤(午後四時三〇分から翌日の午前一時まで)四名、夜勤(午前〇時三〇分から午前九時まで)四名の三交替制二四時間勤務であり、その職務分担は、病棟全体の情況を把握し、医師との連絡や交替時の申送りをなす責任係(助産婦一名)、妊娠三八週目から四〇週目位の妊産婦と分娩切迫症状で三八週目以前に入院している妊産婦の診察、看護と分娩管理を担当する分娩係(助産婦一ないし二名)、新生児の世話をする新生児係(助産婦ないし看護婦一、二名)、褥婦ないし妊婦初期の妊婦の看護等を担当する褥室係(助産婦ないし看護婦一、二名)に分かれ、右各勤務についた助産婦らは、未だ分娩に至らない妊産婦については一日三、四回の割で、陣痛が規則的に発来している妊産婦に対しては一ないし一時間半に一回の割でそれぞれ回診をなし、右回診結果を看護記録に記載しこれを記録室に備えおくほか、勤務交替の際に責任係がこれを読みあげて申送りをなしていること、又各褥室、陣痛室のベッドには助産婦らの詰所である記録室につながるナース・コール(看護婦呼出しブザー)が取りつけられ、妊産婦の異常を直ちに察知できる仕組みになつており、また、常時緊急態勢として手術室に当直看護婦をおき、緊急手術に備えておくことが認められ、現に本件事故当日においても、佐藤助産婦が原告とき子の異常を発見してから約一時間後、その直後当直医の堤医師が同原告を診察し開腹手術を決定してから四〇分後には執刀が開始され、その約一時間後には手術を完了していることは前記認定のとおりである。しかして、証人野嶽幸雄の証言及び前掲鑑定の結果によれば、かかる看護体制及びその実際の運用は、当時の大学病院及び大蔵病院程度の規模を有する国立病院における産科の一般的水準に見合うものであることが認められるから、医師は右のような看護体制を前提として診療を行えば足りるというべく、分娩の介助はそのための専門教育を受け、所定の資格を有する助産婦に委ね、定期回診以外には自ら直接に妊産婦に対し診察をなさなかつたとしても、その監視義務の履行に欠けるところはないものと解するのが相当である。

従つて、いずれの点からしても、堤医師に義務違反がある旨の原告らの主張は採用できないものというほかはない。

2  次に、原告らは、原告とき子は一月五日午後九時以降翌六日午前〇時三〇分までの間子宮破裂の切迫症状を呈していたのであるから、その観察にあたつた被告の履行補助者たる嶋野助産婦が子宮破裂の危険性を疑わず、あるいは医師の診察を要する異常な分娩経過であると認識しえず、右症状につき堤医師に報告してその診察を求めなかつたのは、助産婦としての注意義務を怠つたものである旨主張するので、この点につき判断する。

前掲鑑定の結果によれば、子宮破裂には臨床上の現象による分類として、定型的な破裂症状を呈するバイオレント・ラプチャーと呼ばれるものと、症状が極めて軽度か又は無症状で発生するサイレント・ラプチャー(無症状破裂)と呼ばれるものがあること、一般に、前者に伴う前駆症状として、(1)バンデル収縮輪の上昇、(2)子宮鼠蹊索(円索)の緊張と圧痛、(3)子宮下部の過敏状態、(4)過強陣痛の発来、(5)腟部浮腫の発生が挙げられ、かかる切迫症状が強まると、妊婦の顔面紅潮、口腔乾燥、間断のない疼痛、尿意頻発、呼吸促進、脈博の緊張、亢進を呈することが認められ、〈証拠〉によれば、子宮破裂の前駆症状として成書にも同様の記述のあることが認められる。

ところで、前掲証人野嶽の証言及び前掲鑑定の結果によれば、原告とき子に発現した子宮破裂は、前記認定の如き発現の経過及び開腹手術時の所見、即ち、破裂部位が前回帝切瘢痕部にあり、腹腔内に出血少く、胎児が羊膜に包まれたまま子宮外に脱出していることに徴し、前回帝切の癒合不全により子宮壁に何らかの程度の菲薄化もしくは裂開した部分(抵抗減少部)が存在し、これが分娩の進行に伴い、漸進的に、徐々に破裂するに至つたものであると推定されることから前記サイレント・ラプチャーに該当するものであることは認めることができる。しかして、前掲鑑定の結果によれば、右サイレント・ラプチャーの場合においても臨床上の経験に照らし、試験分娩を緊急帝切へ切換えるべきことを示唆する指標として(1)恥骨結合上部又は瘢痕部に自発痛、圧痛が強い場合、(2)膀胱のテネスムス(しぶり、裏急後重)を訴えたり、血尿を来たす場合、(3)子宮口開大が遅れて陣痛微弱に陥る場合、(4)過強陣痛、激痛が起つた場合、(5)児頭の嵌入や回旋に異常が起つた場合、(6)母体に説明のつかない頻脈が起つた場合、(7)胎児の心搏数が急激に変化した場合、(8)子宮出血が始つた場合を挙げることができることを認めることができる。

そこで、進んで検討するに、原告とき子には、一月五日午後八時三〇分頃再度陣痛が発来したが、そのときの内診所見は同日午前中のそれに比し明らかに分娩が進行している徴候を示しており、その後、午後九時三〇分頃から嘔吐がみられ、午後一一時の診察時には触診時に痛みがある旨の訴えがなされているが、胎児心音は聴取の都度常に正常であつたものであるから、右症状は正常分娩にもしばしばみられることであるとして、このときまでの原告とき子には格別異常があるとは認められなかつた嶋野助産婦の判断には、前掲鑑定の結果に照らし問題がないものということができる。

次に、翌一月六日午前〇時三〇分の所見についても、前掲鑑定の結果によれば、胎児心音は正常であり、少量の血性分泌物、不規則腹緊、腰痛はいずれも正常分娩の経過においてもよくみられるものであることが認められる。唯、この時点において、嶋野助産婦が看護記録に「疼痛過敏」と記載した痛みについては、前掲鑑定の結果によれば、その後の本件子宮破裂の発症に至るまでの経過を回顧的に考察するときには、その瘢痕破裂に対する警戒信号の一つとして先に挙げた指標の(1)の場合に当るものと位置づける余地があるものであることが認められる。

しかしながら、他方、同鑑定の結果によれば、右指標となる症状についての知識は広く産科医、助産婦の末端にまで周知徹底されているとはいえない実情にあること、その理由としては、右の如き臨床医家の体験の累積により得られた知識は、経験や体験の裏付けがあつてこそ臨床の実際に生かされる性質のものであること、換言すれば、経験や体験をしないと実際の知識としては体得できない性質のものであるところ、分娩における子宮破裂発生の頻度については、報告が区々に別れており、一概に断定し得ないが、おおよそ五、〇〇〇例に一例程度とみてよく、子宮破裂の症例を産科医又は助産婦が実際に体験する機会は極めて稀れであること(因に、前掲証人堤の証言によれば、堤医師も産科医として一七、八年余の臨床経験を有するが無症状子宮破裂は本症が始めての体験であることが認められる。)、また、子宮破裂といえば、一般に、前記認定の成書の記述にみられるような多様で劇的な典型的切迫症状を伴うものが反射的に連想されるよう習慣づけられ、又は常識として通念化されている傾向があることが指摘できること、加えて、本件においては、一月六日午前〇時すぎの嶋野助産婦の観察時における原告とき子の状態は過強陣痛とみることは困難であり、下腹部の疼痛も持続的疼痛であつた様子もみられないし、その全身状態にも特別な異常は指摘されていないことにも留意すべきことが認められるのであつて、これらの諸点を考慮するときには、一月六日午前〇時三〇分の時点において嶋野助産婦が当直医の堤医師に対し原告とき子の容態を報告してその診察を求めなかつたことを捉えて非難することは、当時の臨床産科の一般水準の下においては、同助産婦に難きを強いる結果になるものというべきである。従つて、同助産婦に注意義務違反がある旨の原告らの主張も採用することができない。

3  最後に、原告らは、大蔵病院の監視体制に非難すべき点がないとしても、適時における帝王切開手術への切換が不可能であつたのであれば、そのような状態のもとでは、当初から経腟分娩を避け、選択的帝王切開の方針をとるべきであつたにもかかわらず、方針の選択を誤つて漫然と経腟分娩を試みた点に堤医師には義務違反がある旨主張するので検討するに、〈証拠〉によれば、帝切瘢痕の癒合不全による子宮破裂の発生は、原則的には予測し難いものというほかないことが認められるが、既にみたとおり、帝切術式の改良、術後管理の進歩等による経腟分娩成功例の増加に併せて、帝王切開は母体及び娩出児にとつて必ずしも安全無害な手術ではないこと等を理由に試験分娩が医学界でも一般的趨勢となつているのは前述のとおりであり、堤医師の試験分娩の方針選択に誤りがあつたとは言えず、又その監視体制等にも格別欠けるところがあるとはいえないことは既にみたとおりであるから、この点の原告らの主張も採用することができない。

五結論〈省略〉

(落合威 塚原朋一 原田晃治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例